進化ゲーム理論などの手法とビッグデータを使って,社会が今後どのように変化するか予測に取り組んでいます.
1. 東日本大震災の復興と防潮堤
2011年の東日本大震災の被災地では,復興のまちづくりの一環として沿岸部の防潮堤の建設が進んでいます1).下の図は,宮城県の海岸のうち河川部局が管理している部分について,防潮堤など(防潮堤以外に潜堤なども含む)の建設の進捗状況をまとめたものです2).これによると,2011年3月の地震発生から概ね3年を経過すると時間とともに施工完了箇所の比率が増加しており,7年後に50%を超えて,9年後の2020年4月時点で約65%となっています.
建設されている防潮堤の大きさは,津波高さと防潮堤被害の関係を調べ,将来起こりうる津波の規模・発生頻度を想定し,避難などの構造物によらない対策との組合せなどを考慮したうえで決定されたものです3).一方で,防災という観点からみた場合の防潮堤の評価と,生業・持続性可能性・歴史性という観点からみた場合の評価とが分かれてしまう問題が生じています4).「防潮堤が刑務所の塀よりも高い」と嘆じた短歌が全国紙の新聞に掲載される5)など,被災地の住民や専門家だけでなく一般社会でもこの問題に対する社会的関心は高いと考えられます.津波被災地の復興のまちづくりにおける防潮堤の問題について,研究者の立場から考えます.
図 防潮堤などの建設の進捗状況(宮城県の海岸のうち河川部局が管理する部分)
- 1) 例えば,宮城県土木部河川課:東日本大震災に伴う復旧工事進捗状況について紹介します,https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/kasen/sinntyoku.html,2020年4月1日確認.
- 2) 宮城県土木部河川課1)を参照して(2020年4月時点),事業を行っている海岸64箇所に対して施工完了した箇所の比率の時間的推移を描きました.ただし,これは一続きの海岸を1箇所として集計したものであり,それぞれの海岸の工事延長は考慮されていません.64箇所のうち1箇所については情報が得られませんでしたので,それについては施工未了として扱っています.また,海岸は幾つかの行政部局に分かれて管理されていますが,今回は河川部局が管理している部分だけを対象としています.
- 3) 佐藤愼司:津波防災における海岸堤防の役割,土木学会誌,99(9),pp. 40-43,2014.
- 4) 平野勝也:宮城県における津波防災まちづくりの合意形成と防潮堤問題,土木学会誌,99(9),pp. 52-55,2014.
- 5) 朝日歌壇,朝日新聞,2013年10月21日,朝刊,11面.
1-1. 既往の検討
1-2. 津波被災地の非営利復興*
饗庭*は,東日本大震災は日本において「人口減少期」に初めて起きた大規模地震であることに着目しています(以下,本節の内容は同書を参考に記載します).
その説明の前提としてまず,人口増加期の災害復興を振り返ります.饗庭*は「都市部であれば空間だけを復興しておけば,人が住まい,産業が埋まっていく.農山漁村であれば,そこに都市部で稼いだ税を多めに配分することで,元通りの空間にすることができた」と概括しています.また,その手法が「区画整理+バラックモデル」であると指摘しています.手法の前半部分は,換地(人々の土地を入れ替える)と減歩(土地を少しずつ出し合って道路などの用地を生む)によって高性能な都市空間を作り出すことを示します.また,道路に面した土地が多く発生するので,そうした土地は災害前に比べて市場で交換しやすい財に変換されることを示します.いっぽう後半部分は,仮店舗や寝泊りする場所として有り合わせの材料で作られた応急的な建築を自前で建てて,経済活動の基盤をいち早く整えて再開することを示します.ただし時代の経過とともに,自前でバラックを建てる行為は,政府が仮設住宅を供給する行為へと変化しました.平常時は,経済活動で生まれる「資本」が土地という「空間」に投資され,その空間で人々はお互いに助け合ったり新しい仕事に就いたりするつながりである「ソーシャルキャピタル」を育みます.さらに新しい仕事で蓄積された資本が空間に再投資される,という三者の循環が起こっています.それに対して,災害時は三者ともにダメージが生じます.「区画整理+バラックモデル」は,バラックという仮設の空間を作り出すともに土地を市場で交換しやすくすることによって,「ソーシャルキャピタル」と「資本」を徐々に回復させていきます.すなわち,土地を媒介にした復興の仕組みであると言えます.
しかし,人口減少期には土地を媒介にした復興は困難となります.饗庭*は「たとえ防潮堤が整備されたとしても被災地の土地の市場性があがることなく,土地が活発に市場で取引されたり(略)ということはあまり起きない」とし,現時点で不動産市場が活発でもそれは一時的な現象であり,「仕事の収穫で必要なものを少しずつ購入する,というゆっくりとした経済に戻る」と述べています.すなわち,土地は空間,資本及びソーシャルキャピタルという三者の循環への回復のエンジンにはならず,「ただ人々の生活を黙々と支えるだけ」になるとしています.そして,こうした成長しない社会に至るまでの復興を「非営利復興」と呼んでいます.これまでの復興に比べて非営利復興は圧倒的に長い時間がかかり,仮設の空間での暮らしを「バトンをつなぐように長く持続」し「全体としてはゆっくりと走り続ける長距離走のようなもの」だとしています.また,必要最小限な急ぎの仕事をやりつつ「気長に,人々の小さなモチベーションがわき起るのを待ち,それらをかき集めていく」かたちであり,重要なのは「過分な復興事業をするとか,仮設住宅から強制的に移転させるといった無理をせず,ゆっくりと走り続けること」だとしています.例として1933年昭和三陸地震の津波のあと,2年という短時間で高台へ集落を移転し,それから約80年をかけてゆっくりと姿を変えていった地区を紹介しています.
- * 饗庭伸:都市をたたむ―人口減少時代をデザインする都市計画,花伝社,pp. 195-235,2015.